マンガ大賞2017について

今年の受賞作は聞いたことのないものだったのですが、小説が題材だということと、それで高評価ということならおもしろそうだなと既刊分(6巻まで)をまとめて読んだところ、ちょっと驚きなほどアレだったので少し書きます。

高評価のコメントをいくつか読んだところ、天才と凡人を描いたもので、その描写が素晴らしいというようなことでした。そこで、まず一つ目の疑問が生じます。それはなにか特筆すべきことだろうかと。むしろ、逆に天才を用いずに物語るほうが難しいぐらいではないかと。

例えばタッチ。上杉達也は天才です。バトンを受け取ってからは努力もしますが、それでも大変な努力家である和也よりも才能だけで上にいけると匂わせる描写が初期からなされています。

スラムダンクはどうでしょう。桜木花道は初心者ということをネタにしますが、それでも練習量で補えない身体能力をもち、リバウンド王としてチームに大きく貢献します。それで弾かれる(3年間努力した)メガネ君からしたら本当はたまったもんじゃないです。

サンデージャンプと挙げたのでマガジンにいきます。はじめの一歩では主人公も天才ですが、鷹村というより上位の天才を置き、そことの比較においては凡人ということもやっています。

これだけで伝わると思うのでやめますが、天才が主人公であることは大変よくあるというかむしろ普通です。また、凡人との対比ということであれば、メガネ君はものすごくおいしいところをもっていきますし、青木と木村もそうですね。凡人の悲哀と、それでもそこへの愛情や、やりがい、生きがいみたいなものが描かれています。

響はやはり主人公が天才ですが、他はその才能に屈服するという件だけで進みます。周りは全員主人公との差に打ちのめされるだけの存在です。もうええっちゅうねんというぐらいそれだけを繰り返します。では、どう天才なのでしょう、というところに興味は移ります。

圧倒的な文章力を持つそうですが、その説明は全て周りのリアクションです。題材選択の問題ですが、マンガであらわすのが難しいことがいくつかあります。音、味がすぐに思いつくところでしょうか。スポーツであれば、豪速球やものすごいパンチを描写します。対して、音や味はそうではありません。いろいろな作家ががんばっていますが、やはり基本周りのリアクションです。それだけにそこは勝負どころ。例えば美味しんぼで地元の鮎を食べた京極さんなどが典型でしょうか。士郎の鮎を美味いとしながら、理屈じゃ説明のつかない圧倒的な、かつ絵に描けない味というものの違いを表現しました。花咲アキラは画力のある部類の作家ではありませんが、あれはおもしろい表現だったと思います。

さて、小説はどうでしょう。文字ですからマンガで書けます。そもそもそれをやらないのかよという時点で大変に失望しました。何故概要を読んだだけでおもしろそうだと興味をそそられたかといえば、そのままマンガに書けてしまう題材だからです。音や味のような工夫をする必要がないのですから。おお、そこに真っ向から挑むのならやる気を買おうってなものです。

もちろんリアクションを勝負どころとしてもいいです。しかし、響では、その後どうなるかに違いはあれど、全員ただ唖然とするだけです。それならそれで、唖然のなかにもバリエーションをもたせたり、一枚の絵として叩きつけることも考えられます。読んだとき脳裏に浮かぶ心象風景を迫力描写するというのもおもしろいかもしれません。しかし、残念ながら絵がお世辞にも上手いとはいえません。福本伸行のように、書く内容の味があって初めて評価される、よくいってヘタウマでしょう。

主人公と比べれば凡才とされた作家がどの程度のものなのかもわかりません。昔はすごかったとか、ふわーっとしたことしか書いていません。その権威付けはことごとく芥川賞です。ほかなんかないの?ってぐらい芥川賞です。芥川を取らなきゃ作家じゃないのかってセリフがありましたけど、そんなこと言ってる人いるんですか?とりあえず祖父江のモチーフのひとりであろう村上春樹は取っていませんし、現芥川審査員の島田雅彦も取ってません。本当に考えを持って文壇をテーマにしたのでしょうか。そこを周五郎だの野間だのすばるだのいうことで文壇うんちくマンガとしての側面もあったかもしれませんが。つまり、小説という題材を選んでおきながら、それがマクガフィンでしかないんです。バクマンは読みましたか?

今(6巻)ではラノベ、アニメの方向にも響いちゃう、ということのようで、その前が直木賞芥川賞ダブル受賞ですか。ものすごいぼくのかんがえた感。興味のない(薄い)題材にずけずけ入ってきているという印象が強いです。どうせならタイガーショットでネット破ってくださいよ。スカイラブハリケーンで空飛んでくださいよ。

他にどこが評価されたのでしょうか。その分野においては圧倒的な才能を示すものの、人間的に欠落があるというキャラでしょうか。殺し屋1がそうですね。殺しという粗暴な行為なのに泣き虫。奇しくも同じ殺し屋でいまやっているファブルもそうですね。1ほど極端な立たせ方はしていませんが、微妙ながら決定的なずれをよく描いてあると思います。響の場合、すぐ暴力を振るったり屋上の縁に立ったりと、自分や人(の身体)に頓着しないところですかね。それはいわゆる普通のやべーやつで例を挙げるのもアホらしいです。欠落のある人間が友情で変わる(自分はいいけど、友だちが傷つけられるのは許せない)という流れでしょうか。やはりそれ自体はみるべきことと思えません。

唯一、ちょっとおもしろいなと思ったのは涼太郎の静かなサイコっぷりですかね。あれが、響が職業作家=普通の女の子でないものになるのを阻むため、何の心もないけれど理屈だけでものすごい小説を書いて響を潰す、とか、ここにだけはおもしろい展開の芽があるように思います。いうてもそれもあるあるなんですけど、そもそも新しい挑戦である必要はないし、圧倒的な画力である必要もありません。ただ淡々と地味なテーマを描くのだって素晴らしいことです。家栽の人とかがそうでしょうか。しかし、私はこの響という作品に真っ当な意味では興味をもてません。正直なところエントリーすら疑問なレベルで、なんでこれが票を集めたんだろうという興味だけです。

基本、未読で気になるものを教えてくれる賞ぐらいにしか考えていないのですが、ここまでズレられれると他にも懐疑的になってしまいます。

最後に、これはまったく個人的な趣味の話になりますが、今年は星野、目をつぶって。がエントリーさえされていないところに絶望を感じました。トップ10の中からいうなら断然アオアシです。

以上です。