MM誌の日本のヒップホップ・アルバム・ベスト100について

日本語ラップのベスト100という企画で、それだけのことは特別悪いとは思っていません。しかしこれはちょっと拙いのではないかと感じたところに、叩かれているという話もいくつか読んだのでちょっと気になるところを。 

 叩きは今まで虐げられてきた者の怨念のようなことではないかと書かれていた選者がいらっしゃいました。MUSIC MAGAZINE誌は日本語どころかラップ全般に冷たい雑誌だったようだし、バカにしてきたくせに流行りだからっていっちょかんでんじゃねえみたいなこともあるのかもしれません。しかし、それは私の感じる問題ではありません。

前提として、投票の集計結果としてのランキング、賞(本屋大賞CDショップ大賞マンガ大賞)にはいい感情をもっていません。やりたければやればいいし悪いことではないけれども、そう簡単に有意義なものにはなりませんよと。

しかしやりようはあります。なにをどうしても漏れるものは漏れるわけですが、ポイントはそれを論議の基にできるか、ただの不満になってしまうかで、やりかたがまずければ後者が増えるということです。それはおおざっぱに、構造の問題、企画の問題、人材の問題に分解できると思います。

①構造の問題

投票者が多ければ多いほどですが、テイストは薄まります。志向がバラけたなら、誰もが押さえなければいけないと感じるビッグネーム、話題作が残りがちで、大勢ではないかもしれないけど、これが好きな、これこそを求めているという人はいるみたいなものは確実に埋もれます。実験作や問題作みたいなものがそうなりがちかと思いますが、その性質故に好きな人の強い反感が考えられます。これはもう宿命として受け入れる他なさそうです。

②企画の問題

漠然とベストっていったらなにをイメージするでしょう?売上だって立派なベストだし、金字塔、分岐点といったものもそうかもしれません。そんなん知るか!誰がなんといおうとおれはこれが好きなんだ!だってそうでしょう。各自のそれは興味深いランキングになります。しかし、その意識合わせのないものを集計したらいけません。意味がわからないものになります。しっかりとしたコンセプトが必要不可欠です。有名なうんちゃら大賞も大体これはきちんとしています。

③人材の問題

企画をきちんとしているのに、うんちゃら大賞は大体おもしろみのないものになります。それが人材の問題です。例えば2011年の本屋大賞謎解きはディナーのあとでですが、ノーエクスキューズで考えられません。確かに直木賞に残る可能性はなく、そういう作品に日の目をというコンセプトには合致しますが、おえらい先生方には認めてもらえないけれども、埋もれるには惜しい、(たくさんの本を知っている)書店員だからこそ推したい名作、ですか?あれ。本当に他のもの読んでます?価値判断できてます?それでもあれがいいと思われました?CDショップ大賞2017にいたってはなんと宇多田ヒカルです。「この国には、過小評価されている音楽が多すぎる。」から始めた賞ではないのですか?なら誰に言われなくても除外して然るべきでしょう。つまり、明らかにコンセプトを理解できていないのが大半ということです。そして、その資格(?)がある人を充分数集めるのは難しいです。

話は戻ってMUSIC MAGAZINE誌の話ですが、①は不可避ですから、②と③を検討すべきです。

まず②ですが、主観か客観かは明らかにされているのでしょうか。私が選者を頼まれたならまずそこは確認します。例えば、空からの力は主観的には入れない可能性が高いです。KOHHなんかはもっとそうです。かっこいいと思うし、歴史的に重要なことも間違いないのですが、思い入れがありません。そこに枚数の制限があるのですから、上から並べたならどんどん下にいきます。逆に随喜と真田は客観的には入れません。もっと先に聴くべきものはたくさんあります。しかし、主観的にはまっさきに浮かんだ10枚のうち1枚です。

アルバムかどうかについてはどうでしょう。クリーピーとDOTAMAの鼎談で、クリーピーの作品が入っていないことに触れ、ミニアルバムだからかとも思ったけど、KOHHやPUNPEEはミックスCDでも入っていたとあります。というか、証言や、人間発電所が思いっきり入っています。これは揃えられているのでしょうか?タイトルに「アルバム」って入っているけど。結果を見てから、なんだよミニありかよならクリーピー入れたよという選者はいませんでしょうか?

そして、それを決めたのか決めなかったのか、もし決めたならどうなのかを明確にしなかったことが致命的であったと思います。頭の話ですが、なにが漏れようと、例えばアルバム売上のランキングですと言われれば文句になりません。

選者コメントでいかにもそこが不統一であったことが伺え、それぞれそこに否定的でない事を書いていますが、正直あまり信じられないし、本気なら同意しかねます。

次に③です。この選者はどういう基準をもって決めたんでしょう。どういう基準でもいいんですけど、わかりません。ゆうめいツイッターアカウントが少々目立ちますが、そんなこと言われてもというのが正直なところです。リスナー代表という理解にしては生業として評論してる方もいらっしゃいますよね。そういうプロとアマの割合は?50:50を狙ったというならそれもそれでいいですよ。どうですか?ラッパーが決める!でもいいですよね。そうか、ラッパーが選ぶとそうなるか、ということで不満がおさまる人もいらっしゃると思います。

ここまで書きながら、これら全部ぶっちぎって、雑に訊いてそのまんまランキングしましたってのも、まったくの無意ではありません。おもしろくはないけど、確かにそれもひとつのデータです。しかし、その上で叩きを回避する方法もあって、各自のランキングもそのまま載せることです。何故それをしなかったのか、正直まったくわかりません。総合で漏れても、ああ、あの人はあれ入れてくれてるんだ、わかってるな、みたいに勝手に納得してくれるのに。ぶっちゃけ、1枚1枚のコメントなんてさほど意義がないのだから、その分の枠をまわせばよかったのに。

一人頭30枚も選ばせたことから、データとして有意に近づけようということだと想像しますが、母集団の選び方や設問が雑なら多くすることでかえって知りたい答から遠のくということはあります。

自分であれば、トータルランキングはあくまでおまけ、余興として、各自のランキングをこそメインコンテンツと考えたでしょう。であれば人選についてはどうでもいい(好きな人だけ気にすればいい)し、コンセプトについてもそれぞれが言い訳(笑)するでしょう。

もうひとつ、本当にトータルランキングを目指そうという考え方もあります。その場合は直木賞方式がいいのではないかと思うので、人選は重要です。ラッパー、DJ、評論家、ファンからそれぞれ代表を理由明記で選出し、合議、とかです。

最後に念押しです。何が漏れたからという批判ではありません。本屋大賞CDショップ大賞マンガ大賞と並列に、企画としておもしろくなく、より納得感のあるやりようもあったろうということを書きました。