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ちはやふる 下の句(ネタバレかもしれないことも書くけどそんなに気にしなくても)

映画

上の句が気に入ったので、初日に観てまいりました。

その上の句については以前書いた通り。

roberto.hatenablog.com

前提として、日本映画流行りの、前後半制についてはよく思っていません。そして、これでもやっぱりそのよくないところがばっちり出てしまったと思います。

スタッフが同じなのだから当然ともいえるのだけど、引き続きちゃんとしてます。致命的といえるような欠点はない。しかし、上の句から通算すると4時間にもなる長尺なので、同じことをやっていたのでは飽きるのです。例えば絶賛されてたマッドマックスでも、あれが更に2時間続くと考えてください。さすがにあの作劇法では無理があるでしょう?それをやってしまっている。ちゃんとおもしろい!っていう、ちょっと失礼な驚きも、キャストの再現度も、原作の再構成のうまさについても、すべてもう知っていることであり、むしろ今度はそれらがハードルの高さとして立ちふさがります。その点で、今作は、単独としたら観られるものでしょうけど、少々厳しいです。

引き続き機能したものもあります。肉まん君、矢本悠馬のケレン味です。数少ない原作から味付けを変えているポイントなので、その点だけでもこの飽きる問題に対しては有効なのだけど、やっぱりここは矢本悠馬のもつ空気でしょう。これがなんとか興味を繋いでくれる。そして、繋いでくれた場を締める大きな存在として、今作最大のポイントである、松岡茉優の詩暢ちゃんが登場。

これはもうナッシンバット完璧です。スチルの時点で見せていた説得力をさらに上書きする怪演。可愛く、美しく、強く、そしてあたまおかしい。ルックスもさることながら、セリフ回し、かるたの取り方、いずれも文句なし。出てきた時点で画面とお話が同時に動く。場内で一番笑いが揃ったところも彼女の力でした。正直下の句は蛇足だと思うのだけど、やらなければこの詩暢ちゃんが観られなかったわけなので、かなりの痛し痒し。

一本の映画としてはオススメできるものではないけれど、上の句を観て、もっとこのキャラたちを観ていたいと思った方にはちゃんと応えているものだと思うし、矢本、松岡のおかげでそれだけではないものになったとはいえます。

以下、少々ネタバレともいえる、脚本、演出のダメ出しです。原作にあるから、という答えのものもあるかもしれないけれど、あくまで一本の映画として。

新にかるたをやめさせたくないというのはわかります。だけど、それとクイーンに個人で勝つってこと、どれだけ関係あります?少なくともおれにはまったく何を言っているのかわかりませんでした。もちろん、とりあえずはそれでもいいんです。それなりの理由であったり、無茶苦茶であったことがあとで明らかになったりすればいいんですから、手はいくらでもあります。そして、この映画では後者寄りのやり方を選んでいます。ただ、それが間違いだ!ごめん!ってなるロジックがまったくわかりませんでした。どう間違えていたのかわからないし、なぜそれが間違いだと認識したのかもわかりません。何故わからなくなってしまったのかというと、千早の出稽古先の北央で、太一に諭されるシークエンスがあるからです。その前から太一が千早の暴走に気づいていて、苦言を呈している描写があります。そして、その極めつけともいえるのがそのシークエンスで、あそこで千早が折れたなら、暴走の理由がただの純粋な意味の分からない勘違いで、それを太一のおかげで気づけた、ということがいえます。しかし、千早はそこで拒絶します。するとどうなるか。ただの勘違いではなく、視聴者や太一の考えの及ばなかったもっと深い理由であるか、もしくは千早にとって太一が重要な存在ではない、もしくは両方という見え方になる。で、少し話が進んで、勘違いは意味の分からないまま、須藤の語る、伝統の話で打ち砕かれます。えええ!?より直接的なチームメイトの話を、幼なじみであり、主将、現役の理解者である太一の言葉は響かなくて、いろんな意味で他人の言葉は聞くの!?なんで?そしてなんでそれが新がかるたをやめることの解決になるの?君の悩みってなんだったの?とわけがわかりません。でたらめだというよりは、わかるように作劇されていない、ということです。

また、それに関係するのだけど、この映画前後半通して、原作よりもチーム感に重きを置いているように感じます。で、この下の句でも最終的には個人戦であっても、いや、だからこそ絆みたいな落とし所になっている。それはいいです。ただ、これを言うのに、二本柱になっていて、ひとつはこの千早の、新にかるたを続けてもらいたい話。もうひとつが、太一の、もう一皮むけない話。で、前者はギリいいとして、後者の解決として、新の言う、一番楽しかったときをイメージするというのが出てきて、この二つを新をキーマンにして結びつけています。これがまずい。君ら(太一、千早)の一番楽しかったときってのは、幼少期ということでいいんですか?いま、一緒に戦ってくれている肉まん君、机君、かなちゃんではないんですね?太一君、あなたは今のチームを軽んじている千早を批判していますね?であるならば、ここで思い出すべきは初めて今のチームがまとまったときであるとか、もしくはそういう話とは関係しない、初めて札を取った喜び、とかではないですか?おかげでクライマックスで試合に出ていない3人が手を繋いで絆をアピールしているのが、少々空回りに感じました。君らはそうでも、どうもこの二人はより大事なものがあるみたいよ?みたいな見え方。しかも、その肝心のチームの戦いである団体戦は千早が参加してないわ、結果どうなったのかよくわからんわで、かなりおざなり。と思ってたら、個人戦こそ団体戦?ここに不整合を感じて気持ち悪いのです。

もう少し細かい話。参道の真ん中は神様の通り道という話。先生にそれを言われた直後にほぼノータイムで詩暢ちゃんが、それも割とさらっとそこを通ります。わかります。原作にあるのも知ってます。ただ、映画的にいうと、その間、演出の軽さのいずれも、ややダサく感じます。さらに割と直後に、会場入りする詩暢ちゃんが階段の真ん中を、ものすごくダサいカッコで通ります。ほぼ天丼です。伏線まいて直後のその短時間に2回?って思いました。個人的にはダサいカッコだからこそ、それでも何故かにじみ出る凄みみたいなのフィーチャーで、後者の一回にした方がよかったのではないかと思います。もしくは、もうちょっと間をあけるか。

最後に、これは結局の話前後半通してのことにもなるのだけど、上の句と比べると、下の句の話の落とし所は曖昧です。前述のように、絆の説得力がないことが一番大きいのだけど、前後半っていう設計の難しさです。上の句がこけたら下の句はもっとひどいことになるので、必然的により力をいれないといけないのは上の句です。そのために上の句で、後では使えないエピソードを沢山捨てています。例えば襷の件とか、先生が徐々に理解を示し、決定的に味方になる件とかすべて下の句ではいまさらです。ちょうどよく配分したら両方よくなるかもしれないけど、これは仕方のないこと。だからいい映画にしたかったら前後半やるなとしかいえません。

さらに、続編決定とは。耳を、目を疑う光景It's OKです。原作でも(おそらくはこのマンガの肝であった)群像劇的なステージは終わり、おそらくもう締めにかかって、今度こそ千早がクイーンに挑む件に絞られます。ギミックとして使えそうなのも名人周防のところだけで、それも詩暢ちゃんほどまでに美味しいキャラではありません(ヤロウだから)。それでも監督の手腕や、役者陣のがんばりを見るに、期待できないこともない。ないけれど、それを聞いたときの率直な感情は、嫌悪です。

繰り返します。キャラクター、原作再現ものとして大変優れていて、素晴らしき詩暢ちゃんも出てくるし、その意味では観て損はありません。しかし、お話としては残念ながら蛇足です。上の句で十分まとまっていたものを尻切れトンボにしてしまいました。